愛を込めて Debussy – Clair de lune

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ちょうど一年前の今日、父は自宅にて永眠しました。2年近くの闘病期間があったため、家族の私たちは全く予想をしていなかったというわけではなかったのですが、それでも父の死を受け入れる覚悟ができないまま、また、理解できないまま時間ばかりが過ぎていき、その日を迎えてしまうことになったような気がしています。そして一年経った今でも、まだはっきりとした輪郭を捉えることができずにぼんやりとしか理解できないままでいるような気がします。父のいないこの世界がまだ信じられないような、よくわからない状態でいるのを敢えて自分で放置しているような、そんな一年でした。この地球に確かに存在するのは、全ての生命は草木のように新しく芽吹き、鮮やかな花を咲かせ、そして時間の経過と共に枯れ、朽ちていく、という掟なのだということを思い知らされた一年でもありました。

そんな中、私達の心の支えとなったものの一つに音楽があります。父はギターを心から愛し、常に傍に置きいつでも弾くことができるようにしていましたが、徐々にギターを弾くこともできなくなっていきました。癌による疼痛が出てきてから、何かしら痛みを抑えることができないかと私達家族は色々なものを探したのですが、その中に音楽療法がありました。こんなにも西洋医学が発達しても人間の精神的な部分にはまだ踏み込めていないのか、音楽を聴くことで疼痛が和らぐというものでした。本来ならばギターを弾いてあげたいところでしたが、ピアノしか弾けない私が選んだのはドビュッシーの月の光でした。趣味程度にしかピアノと向き合ってこなかった私はこれまでドビュッシーの楽曲を弾いたことがなかったのですが、すぐさま練習を始め、父の前で演奏しました。その時すでに父は声を発することが難しくなりつつあったのですが、本当に気持ちいいという表情を浮かべ、このまますうっと登っていきたいと掠れた声で囁きました。私はそれを聞き、あっという間に父が息を引き取ってしまうのではないかと怖くなり、その後あまり弾くことができなくなってしまったのです。しかし、父の病状がかなり厳しくなった日、今日は必ず父の前で弾こうと心に決め、自宅に戻る直前にピアノを開けたのです。父は殆ど反応することができなくなっていましたが、曲が終わるまで心臓が止まらないようにとまるで祈るかのように胸に拳を当ててじっと耳を傾けていました。その日の夕方、父はこの世を去りました。

恐らく私は一生この曲を弾き続けていくと思います。父への最後のプレゼントですから。

父の命日を迎えるにあたり、ふと父の真似事がしてみたくなりました。私達にとって想いの深い曲に乗せて、父と家族で最後に旅行をした時の写真を組み立ててみました。この旅行の時にも痛みが出始めていたのですが、まだ存分に旅を楽しむことができたようです。桜前線が近づいている今日の投稿としては季節外れの紅葉の写真ばかりですが、父の命日ということでどうかご容赦ください。

戯言: ピアノの故障により一音出ていない音があります。。練習不足に加え、お聞き苦しいところが多々ありますがこちらもどうかお許しください。

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